“Gunner Palace” を観た。

Gunner Palace banner

サダム・フセインの長男、ウダイの宮殿だった建物を宿舎とする、イラク在留中の2/3 Field Artillery unit(2/3砲兵隊)を追ったドキュメンタリー。“Gunner”が2/3砲兵隊のニックネームであることから、宮殿は“Gunner Palace”と呼ばれているのだそうです。

予告編などから、「フセイン家の持ち物だった宮殿に現在は米兵が暮らしている」というアイロニーを重点的に取り扱ったものなのかな?と思っていたんですが、意外と宮殿のシーンは少なめで、バグダッドの市街地や住宅街などで兵士たちが実際に活動をしている様子がリアルに描かれています。

制作者のマイケル・タッカーが話しているように、この映画は「ニュースで見られない戦争」そのものです。「主要な戦闘が終わった」とブッシュ氏が宣言した後(03年9月から2ヶ月間の撮影)も、兵士たちは毎日戦い続けている。反乱者を捕獲しに民家やモスクへ手入れに入ったり、爆発物処理をしたり、パトロールして回ったり…。そういう姿が、最小限の説明とともに淡々と映し出されていきます。ニュースショウで見るようなお手軽な意味づけやコメントのない映像をたくさん見ている間に、兵士たちに共感したり、なんか変だぞって思ったり。何かひとつの結論を導こうとしているのではなく、「ただそのままに伝える」ということに重点を置いた姿勢が感じられました。

I looked at the subject not as news, but as living history; an experience, not an event.
僕は対象者(取材した兵士たち)を、ニュースとしてではなく、生きた歴史として見つめた―「事件」としてではなく「体験」として。

私の目の前にある映像は、私にとってはやっぱり「ショウ」でしかない。だけどそこで確かに生きている人たちにしか分からないその体験を少しでも理解しようとするための手段として、こんな映像ほど良い材料はないのかもしれません。もちろん兵士たち個人の言葉や、制作者のナレーションも含まれているのですが、基本的にはこの戦争自体の可否を語るような内容でもないし、戦争の中で生きる人々がただ描かれているだけです。理解なんてきっとできないのかもしれない、ということと、簡単に理解したつもりになるなんて間違ってる、ということを両方考えさせられました。