慣れと無意識

先日「Diversity Expert」という肩書きの人のレクチャーを聞く機会がありました。
Diversityという単語には「多様性・相違」といったような意味がありますが、例えば会社や学校などの組織でいろいろな人種とか文化(思想・宗教・嗜好なども含む)の人たちを受け入れた環境を指して使われることが多いです。
今回のレクチャーも会社の人事部の企画で、全員出席するように、と言われて行ったのですが、これがなかなかおもしろくて、周りのみんなも「期待してなかったけど(正直・笑)すごくよかったね」と話していたほど。

行く前に予想していたのは…「人種差別はいけない!こんなふうな問題が起こる可能性がある!」と警告したり、「もっとお互いの違いを認めて、すばらしい職場を作りましょう」みたいに言い古されたあたりまえのことを繰り返すようなプレゼン。でも実際はもっと深いところでDiversityについて考えさせられるような話や例をたくさん盛り込んだ、心理学とか人類学系のきっちりしたお話が聞けた、というかんじでした。

私もここではいわゆるマイノリティなわけですが、個人的に遭遇する場面では日本人であることで好意や興味を持ってもらえることの方が比較的多いと感じます。でもそれも、実は相手のステレオタイプの結果なのですよね。初対面の人に、「日本人です」と表明することや、見た目からいってアジア人であることなどに対して、私と言う個人を何も知らない人にはすでにイメージや先入観が出来上がっているということ。
もちろんそれは人種に対してだけではなく、性別・年齢・服装などの外見・立ち振る舞いなどなどに対しても起こる反応だし、自分も他の人にそうやって接しているところも毎日のようにあるわけです。

ステレオタイプや先入観は意識して取り払おうと思ってもやはり何らかの形で存在することには変わりありません。
世界中のありとあらゆるタイプの人のことを前もって知ることは不可能だし、その努力をしても個人はそれぞれなのだし、100%正しい先入観なんてありえないと言えるでしょう。だから「ある人種グループや思想を持つ人々に対して、こう考えるべき」というような軌道修正をいっしょうけんめいにするよりも、「ほんとのところ、この人はどうなんだろうね?」と、観察してみたり話してみたり考えてみたりすることの方が大事なのでしょう。

あっ、実は私が今ここで言い古されたあたりまえのこと、を言っているのかもしれない。。。