私は“みさかいない”くらいに江國香織さんのファンなので、多分かなり偏った意見しかもてないし、そうでない方には参考にならないブックレビューかもしれませんが、とにかくこの感動をお伝えしたいと思い、エントリーにしてみました。
「号泣する準備はできていた」は、2003年11月刊の短編集ですが、先日里帰りした際にやっと手に入れることができました。帰ってから1ヶ月近くたっているし、私はけっこう読むスピードが速いほうなのですが、読むのがもったいない!と思うくらい彼女の本が好きなので、大事にゆっくり読んでいたら今日までかかってしまったという次第です。
個人的には後ろ帯に書かれた「詩のように美しく、光を帯びた文章が描く、繊細な12の短編。」というコピーがあんまり好きじゃないのですが…(まあこういうのは本当に個人の嗜好に関わることなので、文句をつけているわけではありません)。確かに表面的な文章の美しさもあるんだけど、それによって表現されているとてもリアルで痛くてせつない内容のほうが心を打つ気がします。うーん、まあ、「その先」は美しいかもしれない。
やや意味不明でごめんなさい。
一番好きだったのは「熱帯夜」。ストーリーにそのまま自分を重ねることはできなくてもまったく問題なく物語の中に入っていけてしまうし、ひとつひとつの言葉が恋愛というシチュエーションを越えて、共感として心に響いてくる気がします。途中ももちろん最高なんですが、特に最後の2ページにぐっときてしまいました。そんなことをするときっと作者の意図に反してしまうと思うけど、この2ページだけでも読んで欲しい!と思うくらいお勧め(ちなみに、66ページと67ページです)。
それから表題作の「号泣する準備はできていた」も、かなり好きです。「熱帯夜」も、他の話もそうですが、何度読んでもそのたびに違う味わい方をできるというのがすばらしいと思います。そして、この作品には特にそれを感じましたねぇ。収録されているのは20ページ前後の話ばかりで、筋は一回読めば頭に入ってしまうというのに…。そしてその20ページあまりでこんなに自分を感動させてくれる文章を書いてしまう彼女は偉大だ!と思ってしまいます。
私はどう転んでも江國さんより上手な表現で彼女の小説を説明することも、今感じていることをうまくあらわすこともできないと思うので、「興味があったら読んでください」としか言えないのですが…。うーん、こうして「いいよ!」と期待させてしまって読んでもらうのも良くないのかもしれない、と思うくらい慎重にお勧めしたい気分ですねぇ。やっぱり、期待してしまうと、思ったとおりのものでなかったときにがっくりしてしまうので、できれば先入観なく読んでもらいたいです。直木賞受賞作とか、そういうのもきっかけとして以外には読書の楽しみ自体にあまり関係はないのです。
「彼女の文章はさらりしている」、とか、「物語が遠くにあるものを見つめている感じ」と評価される人も多いことに気づいたのですが、これはホントに好みの問題なんでしょうかねぇ。私はその距離感がなんともたまらずいいなぁと思います。
彼女はきっと、人生や恋愛がよく分からないものだと言うことも含めて、人生や恋愛と言うものをよく分かっている気がします。そして、それを表現する方法も…。文章の「上手さ」と「狙わないこと」のバランスも、最低限の言葉でいろんなことを的確に描写することができるところも、とにかく大好きです。
Comments
“「号泣する準備はできていた」を絶賛してみる。” への5件のフィードバック
お久しぶりです、SYO-EIです。
僕も「号泣する準備はできていた」は読みました。ただ、江國香織さんの本を読み始めて間もなくの頃に読んだので、江國香織さんの描写や、話の展開に馴染めていなかったせいもありますが、ちょっと『あれ?』と思ったことがありました。その後は、多くの江國香織さんの本を読んでいるので、改めて読み直してみれば、違った印象を受けると思っています。
僕も、最近は江國香織さんの本を探して読むほど、ファンになっているかも知れません。
そうなんですね。お勧めするときには気をつけなければ…
わたしは10年以上彼女の作品を読んでいるので、なじみまくっていて気づかないところもあるかもしれないです。
こんど読み返されたら、最初よりもいい印象になっていることを祈ります!
こんにちは。私も江國さんの本にはなじみまくってます。
スルスル読めて、読んでる最中はどんなお話でもとても幸せを感じます。気持ちのいい世界に夢中。
Okuさん、レスがおそくなりましたが…
きっと、同じ気持ちでいるんだなぁ、と、とても親近感が沸きました。幸せになれますよねぇ、ほんとうに。
煙草配りガール
江國香織 「号泣する準備はできていた」 江國香織が短編集『号泣する準備はでき