音声通訳機、はやくできないかな。

今朝のラジオで音声翻訳機の話を聞いたんですが(MIT Technology Review 10 Emerging Technologies That Will Change the World:世界を変える10の新生技術・無料の会員登録が必要)、思ったよりも音声通訳機の研究は進んでるらしい。
…と書こうとしてたら、blog@Junkie Surfer Notesのあべっちさんのとこで、NECは”ほんやくこんにゃく”を作ってんの?と、研究どころか製品化に近づいてると言う話がタイムリーに。

今現在自分も翻訳を仕事としてるけど、将来めちゃめちゃ精度のいい翻訳や通訳の機械ができればそれは喜ばしいことだと思う。この職業の絶対数が減ってしまったとしても。なんて言うと、もっと真剣に翻訳の仕事に取り組んでる方に失礼なのかもしれないけど…。
効率化・機械化できるところはしてしまって、もっとたくさんの英語の文章が日本の人に読まれるといいと思うし、その逆もあればいいなと思うし。そして、人間が人間でしかできないことをする時間が増えた方がいいと思うんです。←もちろんそこには小説の翻訳や違う言葉を持った友達を作ることなんかも含まれてるので、人間が外国語を学ぶこと自体を拒否すべきという意味ではなくて…。

(ここからはちょっと話が飛躍してしまうかもしれないです)

そういった話題に絡めて、いまミシガン州で次々に製造業や小売業の仕事がなくなっていってること(原因はやっぱり工場のオフショア化やさまざまなプロセスの機械化)に対して、しかたないことなんじゃないかな、と思ってしまいます。職をなくした人にとってはそう簡単に言えるようなことでもないし、経済全体を見れば自分の身にも関係のあることだというのを承知の上で。

幸か不幸か、そういう傾向は後戻りすることはないというのが現実。

でもいろんな意味で、それでも私達は贅沢な世の中に生きてるなぁと思うんです。

支離滅裂だけど、最近そういうことをよく考えてます。